相馬救援隊
相馬の地で、馬とともに、持続可能なコミュニティをつくる。
私たちはこの未来への旅に加わる"新たな仲間"との出会いを求めています。
2011年3月11日、相馬の歴史が大きく変わりました。
東日本大震災の地震と津波、東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能汚染と風評。
あれから十数年の月日が流れましたが、いまもなおその爪痕は深く残されたままです。
地域経済を支えてきた第一次産業の衰退、観光や交通などの交流人口の減少、ほかの地域への移住や少子高齢化の加速、そして長い年月をかけて世代から世代へと受け継がれてきた独自のライフスタイル=人と馬がともに暮らし、ユニークな馬の文化を伝える担い手の減少。人びとは慣れ親しんだ土地から離れ、経済的な理由からパートナーである馬を手放さざるを得なくなってしまいました。
私たちは、地域が抱えるいくつもの課題が互いに影響しあい、重なり合うことに気づきました。
そしてひとつの課題、テーマにたどり着いたのです。
"コミュニティの存続"
小さなコミュニティがあり、それらが影響し合ってより大きなコミュニティへ。そのコミュニティも影響し合って、さらに大きなコミュニティをかたちづくる...。
およそ700年、同じ土地に暮らしてきた相馬の人びと。親から子へ、子から孫へ。世代を超えて連綿と受け継がれてきたコミュニティにいつも吹いていた風。相馬の地に人びとをつないでいたのは馬の存在でした。
馬は未曾有の惨事と存続の危機から復活するコミュニティを結ぶ、再生のシンボルになると信じています。
なぜこの課題に取り組むか
なぜ"新しいコミュニティづくり"に取り組むのか?
私たちには夢があります。
相馬の地で生まれ育ち、いまもこの地で健気に生きている子どもたち。あるいは、2011年3月11日の東日本大震災とその後に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故で、故郷から離れて生活せざるを得なかった子どもたち。そんな子どもたちがいつの日か、自信と誇りを持って「相馬」の名を言えるように、地域が変わり、社会が変わることです。
その願いは、十数年間途絶えることのない情熱です。
確かに、失われた、または失われようとしているコミュニティがあります。それを再生したいと強く望みます。このままでは、昔から伝えられてきた、人と人との大切な絆が途切れてしまうかもしれないと焦り、不安になります。しかし、相馬には、たくさんの希望があります。
近くにいても、遠くに離れていても、私たちが作ろうとしているコミュニティはひとつです。たとえ、あなたと私が地球の反対側で暮らしていても、相馬の地を思うことは同じです。この地域の課題を私たちだけで解決することはできません。
たくさんの人の"知恵"と"力"が集まって、少しずつ、少しずつ変えていくことができます。
昔から"自然と"受け継がれてきた馬との暮らし、相馬野馬追をはじめとした地域の馬事文化を未来につなげる。
私たちは地域が再生するシンボルを求めました。馬です。
その名「相馬」が示す通り、馬と深い関わりがありました。田畑を耕し、山道を下って木を運び、荷物を背に乗せ、人を乗せ、神の使いとして祭りに加わり、この地に1,000年続く神事『相馬野馬追』(そうま-のまおい)。
少し前まで、この国ではもっと近い距離に馬がいました。そのひとつが、この地域にはまだ残されています。
3.11の教訓を踏まえて、持続可能なコミュニティを作りたい。
以前と同じ姿を取り戻すことはできません。これからの時代に合った新しい地域社会を目指します。
私たちには教訓があります。しなやかで、たくましい、持続可能なコミュニティをつくらなければ、また同じような苦い経験をすることになるからです。
1000年先を見据えて、先人が伝えてきた生活の知恵に学び、この地域に隠れている魅力を再発見し、それを時代に合わせて伝えていきます。あまりにも近くにあるために気づくことが難しい、古くて新しいこの地域ならではの"馬との暮らし"で、新しいライフスタイルを追求します。
大きな社会の課題と小さな地域の課題が出会う場所
地域の馬の文化を支えるのは、競馬界を引退した競走馬です。相馬は引退した競走馬の受け入れ先のひとつであり、セカンドキャリアを歩むことのできる場所のひとつです。年間数千頭の馬が新天地を求めています。この大きな社会課題を解決する小さな地域が相馬なのです。
他にも大小様々ある社会課題を解決し未来を築いていく事こそが、この地を応援してくださっている皆様への恩返しにもなるであろうし、能登をはじめとした自然災害により被災された皆様の復興の希望になると信じております。
700年間どんな困難をも乗り越えてきた故郷を1000年先まで継承していく。
これこそが私たち相馬救援隊のミッションです。